小説「永愛-AI-」③

タブレットのおかげか、時間が癒してくれたのか、俺は少し立ち直り、今日は久しぶりの出勤だ。俺は、総合病院で栄養医として勤務している。まだなじみのない分野であるが、栄養医とは、2045年に新設された分野で、内科医に近い立場であるが、栄養学を医学的に分析し、予防医学の観点から、患者と向き合う医師のことだ。2020年に世界的なウイルス流行があり、その後癌を始めととした慢性病患者の急増を受けて、従来の西洋医学のみでは対策が難しいと判断し、新設された分野だ。日本がパイオニアとして、この分野を立ち上げ、まだまだ認知度は低い分野であるが、着実に成果を残している。皮肉ではあるが、予防医学を学んでいる俺では、事故の予防はできなかったわけだ。医者としての無力さを痛感する。とはいえ、この仕事へはやりがいを感じている。今までは、栄養学というのは、公式なものはすごく古い情報が使いまわされていて、現実では使い物にならず、最新の栄養学は玉石混交の情報が多かったため、似非科学に騙される例も多く、とても公式に勧めることができる代物ではなかった。しかし、一部の富裕層や知識人からは、栄養学を使った慢性病の予防は常識となっており、健康格差が顕著となっていたのだ。ウイルス感染や癌などの生活習慣病で亡くなる方の多くは所得の低い層に集中していき、高所得者や知識人は栄養学を駆使して、病気を予防している。これは由々しき事態であり、国を挙げて、栄養学の医学的なアプローチを進めたわけだ。結果として、俺のような医師が多数輩出され、現在は、国民に平等に栄養学の知識が行き渡っており、急速にウイルス感染者数や慢性病患者数が急減していったのだ。驚きの結果であった。国民の間でも、この事実を受けて、たばこやアルコールの消費量は急減し、加工食品やファストフードなどの消費量も急落した。その代わりに野菜・果物などの健康と言われる食品の消費量は急増し、2050年の今では、人工知能を駆使した畑が増えている。俺が生まれた頃の30年前の世界では想像もしないなかったが、ファストフードやコンビニの代わりに八百屋や果物屋、発酵屋などの健康食品店が町中を席巻しているのだ。多くの地方は、限界集落となっており、ほとんどが農家となっている。そしてほとんどの人口が東京や大阪などの大都市圏に集中している。この産業転換により日本経済は完全に回復した。国民は健康を取り戻し、医療費は大きく下がり、国民の消費額も野菜・果物などの健康食品とAIを始めとする情報関係経費にほとんど支出されるようになり、安定的な生産と消費・税収により、国民全員が豊かになったのだ。多くの労働はAIが行い、農家などの仕事においてもかなりの高収入になっている。スーパーなどのレジはすべてAIだ。すべてマイナンバーで管理されている。例えば、スーパーに入れば、専用のかごにマイナンバーカードを装着する。そして商品を入れる都度、自動的に会計がされていき、最後にゲートを通過するだけで、マイナンバーに請求がいくシステムだ。これでは万引きも不可能になる。もし、かごに入れていない商品があったり、マイナンバーカードがない場合は、警報がなり、ロボットの警備員に連行される。基本スーパーは無人だ。全国のスーパーを管理する事務局があり、そこにオンラインで繋がり、話をする。仕入れなどもすべて自動化されている。無人の自動運転トラックがスーパーの倉庫に到着したら、ロボットがすべての荷物を指定の場所に運び、自動で陳列棚にロボットが並べる。品質管理や賞味期限なども瞬時にロボットが行うので全く漏れがない。欠品などもなく、すべてロボットが管理している。この社会では、ロボットを始めとするAIを利用する側の人間とAIに利用される側の人間に分かれている。大学院などを修了し、専門性を高めた人間は、AIを利用し仕事をする。逆に単純作業に徹する人間は、小学校卒業後から、働くことができる。専門知識は0で良い。ひたすらロボットの指示通りに動けば良い。どちらも対人を相手に仕事をすることはない。すべてロボットが顧客対応をする。なので業務においてパワハラやセクハラなどのハラスメントもなく、ストレスフリーだ。単純作業は、時給1000円程度の仕事であり、みな小遣い稼ぎでやっている。実は、小学校卒業後から、国民はみな、毎月必要最低限度の生活費を支給されている。ベーシックインカム理論が完全に定着している。なので働かなくても生活はできる。なので、働かない人も多数いる。まあ、小遣い稼ぎで時給1000円の仕事をしているようなものだ。国を支えているのは高学歴の職業人だ。俺もそちらの人間になるが、かなりの高収入となっている。医者は平均年収1億はゆうに超えている。税金も5000万円くらい取られているが、かなりリッチな生活ができている。昔と違って長時間労働は必要ない。大体週4勤務で、勤務時間も1日5時間程度だ。診療も手術などもすべてロボットが行う。私も日課は、ロボットの報告書確認や動作確認を行い、プログラムを更新することや、新たな研究を行うことだ。とにかく頭脳労働に徹する。昔の日本と違い、どのような生き方をしても幸せになれる。俺は、自分の好きな栄養学の知識を生かし、今の仕事についた。やりがいもあるし、時間もあるし、お金もある。しかし、あの事故をきっかけにすべてが闇になってしまった。昼休みはいつもの蕎麦屋に向かった。もちろんここも無人だ。すべてAIが蕎麦の調理から提供までしている。会計は、マイナンバーカードだ。同僚のさとしがいた。さとしは俺を見るなり、驚いた表情ですぐに近づいてきた。「久しぶりだな。」さとしはいつもと変わらぬ様子で俺の隣に座った。彼なりの精一杯の優しさだったのだろう。さとしは、一番重要なことには一切触れず、最近互いが行っている研究について語りだした。彼は優秀な外科医だ。俺とは正反対のアプローチで患者と向き合う。一見俺たちは正反対のようであるが、患者を救いたいという気持ちでは同じだ。俺は患者を予防的観点から、内側から治そうとするのに対し、さとるは、病気になってから、外側からアプローチする。俺たちは今大きな研究に挑んでいる。それは,死んだ患者を蘇らせる研究だ。急にオカルトのような話だと思ったかもしれないが、俺たちは科学的な観点から、この問題に挑んでいる。そもそもが、生命体も動かない物質が集まって、何らかの有機的な作用により命を宿す。生命は生命からしか誕生しないともいうが、では、最初の生命はどのようにスタートしたのか?リレーも同じで、誰かからバトンを受け取り走るが、最初の人は、そもそもがバトンを持っている。そして最初の人は止まった状態から動き出す。あとの人は、ただ、走りながらバトンを受け取るだけだ。命もそれに近いと思っている。命の根源では、命を作り出す何かがあって、その何かをつないで命から命が生まれているはずだと仮説を立てている。もしその物質が生と死を分けるのだとしたら、その物質を死者の体内に再度入れれば、蘇るはずだと考えている。俺は、栄養学的な観点から、それがどのような物質なのかを解明し、外科のさとしがその物質を体内に入れる方法を考えるのだ。漠然とその物質を魂というのではないかと考えている。ここで問題なのは、以前にも説明した意識の問題だ。例えば、今目の前に死者がいたとして、その物質をうまく入れることができたとしよう。その人が蘇った時、はたして、生前の意識で蘇ったのか?それとも別人として蘇ったのか分からない。きっと、記憶は生前の海馬からつながるので、生前の時と同じようにふるまうだろう。しかし、意識が同じかどうかを確認する方法はないわけだ。俺は同じとは信じていない。その物質に識別番号でもついていれば良いのだろうが、果物に含まれているビタミンC毎の違いがわからないように、その物質毎の違いもきっと分からない。でも、その物質毎に異なる魂が含まれているのだろう。同じ魂を同じ人に入れるなんて不可能に近い。それができれば完璧なのだが。俺たちは夢と希望からこんな壮大な研究を始めたわけだが、この研究が俺の未来を大きく変えることをこの瞬間は夢にも思わなかった。



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