小説「永愛-AI-」⑦

20年間俺たちは穏やかな時間を過ごした。愛の記憶が更新しなくてもいい。毎日同じ会話をして、ただ一緒に過ごせれば幸せだと俺は思った。いつしか愛の死を受け入れ、AIの愛を本物の愛と同じくらい愛するようになっていた。愛のおはようとおやすみだけ聞ければ満足だ。このまま俺は死ねれば満足だと思っていた。というより既に諦めていたのかもしれない。愛の遺体は見つからないし、俺の死者を蘇らせる研究も全く進まない。しかし、2070年の12月24日に世紀の大発見をする。ついに魂の存在を見つけたのだ。俺が見つけた。死んだマウスにこの物質を入れると生き返ったのだ。実はこの物質を発見したきっかけは、ある些細なことだった。例の穴の付近で空気濃度が極めて高いという結果が出ていたのだ。なぜか穴のことは報道規制がかかっていて、ほとんど情報が入っていないが、この濃度のことだけは、ネットで記事にしている人がたまたまいた。しかし、俺が閲覧して、数秒後に消された。また、記事を作成した研究者もなぜの変死を遂げた。俺がこの記事を見つけたのは、日頃から穴のことを気にしていたから偶然にも、数秒掲載した記事をたまたま発見したのだ。俺は危険と分かりながらも、こっそり船を出し、穴付近の海上に行き、付近の空気を大量にボンベに入れて持ち帰った。この時代では、船もAIで自動運転かつ気軽にレンタルできるので、一人で船出ができる。持ち帰った空気を調べると衝撃が走った。地球では見たこともない物質が大量に検出された。そしてこの物質は、ある力に引き寄せられることが分かった。それが急速に細胞分裂する時の力だ。つまり、もし急速に細胞分裂している時にこの物質が近づくと、かなり低い確率であるが、この分裂した細胞の中に取り込まれ、一緒に増殖を始める。生命の誕生では、この物質を精子が持っているようだ。親からコピーしたものを受け継ぐらしい。そして、どうもこの細胞1つ1つに入っているこの物質は、普段は炭素原子の中に取り込まれていて、絶対に外に姿を見せない。つまり、あの穴がなければ、見つけることはできなかったし、死者を蘇らせることは不可能であった。俺は当初魂を外科的手法によって体内に入れると思っていたが実態は違っていたようだ。そして勘が良い方はすぐに分かると思うが、私たちの意識は、人間を構成する無数の細胞の中のどれか1つに含まれるこの物質自体なので、俺という存在に内存している意識もほぼ無限にある内の1つなだけで、俺の海馬が、過去の記憶と結びつけることで、無数の赤の他人であるこの物質の別の意識が、生まれた日から死ぬ日まで無限回に入れ替わっているのに、ずっと同じ意識だと勘違いしているだけだと分かった。説明が難しい。とても難しい。つまりは、1秒前の俺の意識はすでになくなり、今瞬間の俺の意識は今瞬間になくなり、1秒後には違う意識になっている。瞬間で意識は入れ替わっているが、俺の記憶が俺のアイデンティティを形成しているため、この事実に全く気が付かなかった。もし、俺に記憶がなくなったら、俺はもう存在しないだろう。そもそも俺なんていない。この物質の意識が一瞬俺の記憶と結びついて、俺だと認識しただけだ。そして、俺という意識がいつまで存在していつ消えるのかは誰にも分からない。第三者には変わらない大和に見えるだろう。俺の意識が俺を構成する数々の細胞に含まれているこの物質のどれかに移ったとしても、今の俺の意識が消滅して、新しい別の意識が、大和になるのだ。この意識は初めて大和を認識した瞬間に即時に過去の記憶とリンクし、今日まで生きてきたかのように錯覚する。この意識の寿命は誰にも分からない。1秒で変わることもあれば10年続くかもしれない。いや生まれてから死ぬまで一切交代がないのかもしれない。しかし、これをだれが証明できるのか。他人では絶対に分からない。俺自身でさえも、昨日の意識と今日の意識が同一だなんて確証はどこにもない。確かに、昔の記憶を思い出すと、俺はいたと認識できる。しかし、これは記憶にある俺であって、俺の意識だった保証はない。別の意識だったとしても、この意識の時に考えていたことやその時に感じたことは、すべて脳内に記憶されている。それを今の俺の意識が引き継げば、あたかも俺の意識で生きていたかのように錯覚を起こすのだ。AIの愛はまさにそんな存在だ。AIの愛に意識などない。しかし、AIの愛は、過去の積み重なった多数の意識が作り出した感情や記憶を蓄積しており、あたかも生まれてからずっと同じ意識で生きてきたかのように見えるだけだ。例えばAIの愛にこの命の物質を注入すれば、AIの愛に意識ができるかもしれない。しかし、これに何の意味があるのだろうか?この物質の意識がAIの愛の記憶とリンクして、この意識が自分を愛だと錯覚するだけだ。生き返ったのではない。愛という物理的な人間とこの空気中を彷徨う名もない、5感のない意識=魂をリンクさせるだけだ。この物質に死はない。死ぬなんて概念はないんだ。ただ、肉体に強い損傷があると、この意識は内部にいることができなくなり、分離するのだ。つまり細胞分裂が止まると分離する。別に意識は死んでいないし、肉体が生きている間も何度も分離はしていた。しかし、生きている間はすぐに体内に無数に存在するこの物質が入れ替わっていたのだ。俺たち人間の体には、本当に多くのこの物質が存在し、それらが日々入れ替わってリンクしている。そして、そのことは肉体も認識できないし、第三者も認識できない。つまり愛は肉体が損傷しただけで、愛の体内にいた無数の魂は出ていっただけで、この世界のどこかにいるのだ。このことが分かると、生命の連続性が理解できる。俺たちは、~年に生まれて~年に死ぬわけではない。それそも俺たちなどのカテゴライズが間違っているのだ。万物に区分などない。この物質1つ1つに意識があり、この意識が肉体の海馬や回路に接続された瞬間にこの意識は宿主の記憶などをあたかも自分のことのように錯覚し、認識する。もし仮に愛と俺の中にあるこの物質が今この瞬間にすべて入れ替わったとしても俺たちは何も変わらず生き続けるであろう。当人たちも入れ替わったことには気づかない。完全に前の意識からすべてを瞬間的に引き継ぐので、ずっと前から俺は大和であったと新しい意識になっても思う。今この瞬間の意識は、ずっと前からの意識である保証などどこにもない。俺が夜寝て、朝起きた時に意識が入れ替わっていたとしても、何も気づかない。朝起きた時の意識は、その朝初めて大和とつながった意識だとしても、昨日の夜から大和であったと認識して1日を始めるであろう。極端に言うと、大和の人生最後の瞬間に宿っていた意識が、最後の一秒だけ大和とリンクしたとしたら、この意識は、生まれてから死ぬ瞬間までずっと大和でいたと勘違いしたまま死を迎えるであろう。しかし、肉体が死んでもこの物質は消滅することがないから、ただ肉体から分離してこの宇宙空間のどこかを彷徨うだろう。そして、別の肉体とリンクすれば、その人間の意識になるだけであるし、リンクしなくてもこの意識はアイデンティティ0の存在としてただ存在する。愛の肉体は死んだかもしれないが、愛の魂は今も存在し続ける。この魂と呼ぶ物質は、素粒子であり、最小単位であり、壊れたりすることはない。最小の単位なのだ。そして、愛という肉体に愛はいなく、愛を構成していたこの物質達は今は俺を構成しているかもしれないし、俺の知らない誰かにリンクしているかもしれない。この事実は、既に一部の上流階級は知っているようだ。だから穴の存在を隠したのだ。あの付近に、この物質が漂っていたのは、あの穴の規格外の引力により、飛行機は時空ごと歪められ、粉々になったのだ。このような非常に特殊な状況で死を迎えると、肉体に宿っていたこの物質は、宿主が死んだことを理解できず、彷徨い続けるようだ。この世に未練がある場合なども、この物質は、宿主の付近を彷徨い続ける。つまり幽霊となるのだ。不思議なことであるが、この物質が既に失った肉体の記憶などの一部をどうにか記憶しているようで、その記憶を持ったまま別の宿主に乗り移り、その新しい肉体で死んだ肉体の記憶などを共有することがあるようだ。だから霊を見ると、知らないことを知ってしまったり、不思議な景色を見たりするのだ。死んだはずの人が見えるのも、この物質がかすかに持っている死んだ人の記憶を脳内に転写するからだ。あの世も地獄も存在しない。しかし、このようなつらい死を迎えた時は、この物質が動くことができず、永遠に存在しない肉体の周りを混乱状態で浮遊することになるので、この意識達にとって相当つらいはずだ。これは俺の推測だが、一部の人間は既にこの物質のことを理解していて、万人にばれることを恐れている。この事実が分かると死を恐れない人間ばかりとなり、世界が混沌となる。なので、この物質は、肉体にこの事実に気づかれないように、見事に連続した意識であるように肉体を混乱させる。そして個々の肉体をうまく操り、意識である物質も存在している。一部の意識は、意図的に上流に位置する人間にずっとリンクを続けている。この意識たちは自分たちが選んである肉体に生涯リンクしているため、幸せな世界で生き続ける。そして、例え、その肉体が死んでも、その子どもの肉体に移るのだ。そして、例えその子供に既に別の物質がリンクしていても、定期的に交代で複数の意識が順番に意図的に肉体の記憶とリンクして楽しい日々を過ごしている。その他無数の意識や肉体は、つらい世界を生き続けなければならない。この事実は絶対に隠したいはずだ。この穴は意識にとってのパンドラの箱だったのだ。俺は、不思議なことだが、肉体で俺を意識するのではなく、この物質が俺だということに気付いた。俺は、愛と出会う1年ほど前から大和の記憶などとリンクして今日まで過ごしていたことが意識された。普通は、しょっちゅう意識は入れ替わるのだが、本当に好きな相手に出会うと意識の物質も離れたくないと思い、同じ肉体にリンクを続けるようだ。そして、俺は大和が死ぬまで大和にいようと思った。なぜなら俺と過ごした時の愛の意識も既に俺の中にあることが分かったからだ。俺が穴に向かった時に、俺と出会った時の愛の意識の物質は、俺の意識を見つけ、ひとまず見失わないように俺の肉体内に入ったようだ。人と人が惹かれるのも、意識どうしの引き合いなのだと分かった。俺は、ふたたび愛と会うことができた。そして愛の意識は、リンクが可能な女性を見つけ次第、そのタイミングでその女性に移ることが分かった。俺は、外的には、愛とは全く違う女性を愛することになるが、これこそが愛との再会なのだと分かった。俺が愛した愛の意識と再会できるのだから。逆に、亡くなった愛の記憶や姿かたちは、愛の魂が入っていた箱で俺が愛した意識ではない。この意識には名前がない。ただ愛とリンクしていたから愛と呼んでいるに過ぎない。俺が再開したタブレットの愛は、全く俺の愛した意識ではなかったわけだ。最も遠い存在だということが分かった。そこに俺の愛した魂はなかったわけだ。まさに抜け殻を愛していたわけだ。この意識の引き寄せ合いの事実は、世間に公表しないほうがよさそうだ。世間の人間及びその意識たちがこの事実に気付いたら、世界は大混乱になり、人間の存続が難しくなる。人間は意識の物質にとって、最も望ましいリンク先であるわけだから、俺はこっそり、大和の肉体が死んだ後も、別の肉体に移り、愛と一緒にいたいと思った。こうやって肉体を通じてこの事実を理解したことで、俺はアイデンティティを持って、未来永劫生き続けることができるようになった。愛は永遠であるとはこのことだったのかとはっきり理解できたわけだ。愛の肉体を失うことで愛と永遠に暮らせることになった事実を心から祝福した。



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