私は幼少期から競争社会で生きていて、人間はすべて優劣があり、できるだけ他人より優れていることが良いことという価値観で生きてきました。
頭脳、運動、人からの評価、資産、持って生まれた体格や容姿、職業、家や車などの所有物、争いにおける強さ等、生きていく上で常に他者と比較し一喜一憂しておりました。というより、どんなにこれらが無意味なことだと分かっていても、もっと大切なものがあるのだと知っても、本能なのか比較をやめることはできません。多分皆さんがそうだと思います。
ふとこの前大木を眺めていたら、木の枝の所々に小さな草が沢山生えていました。コバンザメなどもそうだと思いますが、これらの草は大木から栄養をもらって生きています。つまり大木に生かされているのです。一般的に見れば、大木の方が立場は上で、草は下になると思います。しかし、見方を変えてみたのです。大木は自然界で生きていくうえで無駄なことはしません。もし草が不要な存在ならば、なんらかの形で追い出すはずです。しかし、彼らは共存しています。きっと、彼らには優劣などの概念はないのでしょう。互いが必要としているから、互いが存在しているだけです。
例えば、この世の中にあらゆる分野においてNo1の人がいるとしましょう。この人はすべての人より勝っている存在になるはずですが、きっと一人では生きていけません。誰かを必要としますし、その誰かもまたこの人を必要とするでしょう。例え、あらゆる分野において最下位の存在になったとしても、絶対にこの世界のどこかで誰かを支える存在なはずです。
みなさんは見えない糸で繋がっていて、無意識に誰かの助けになり、誰かの助けを借りています。
優劣なんてどうでもいいんです。互いの存在が互いに影響を与え、共存するのです。
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